いま、ここに

category: 学び  

ひさしぶりに来週バッハを歌う機会に恵まれ、
昨日は初めての会場にリハーサルに伺った。

難曲でもあるのだが、それ以上に初めての会場に
非常に戸惑った。
響きの良い空間で環境は申し分ないのだが、
自分の位置で歌う段に全く自分の声を「見失って」しまう。
リハが進んでいくうちに多少慣れてはきたが、
あらためて多くの歌手がしばしば経験されるであろう課題に
直面した。
いろいろと発声や姿勢やあーだこーだジタバタ考えてみるが
追いつかない。どんどん息も声も浅く、固くなる。
まだまだ自分も経験が足りないなあ、とかなり打ちのめされた。

終わってしばらく電車に揺られながら思い返しているうちに、
少し思いあたる事があった。
どちらかというとメンタルの気づきではあるが、
「いま」「ここに」いる、という認識が欠けていたのではないか。

最近のネットから見つけた言葉から思い出した認識ではある。
仏教、あるいは瞑想とも結びついている内容と思うが、
この瞬間の自分(がいること)を”許す”、”受け入れる”という感じだろうか。
「こうあるべき」とか、過去の自分でなく、今の自分をただそのまま感じること。

先日のアレクサンダー教師の方が繰り返しかけて下さっていた言葉に
「いいですねえ」「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
というものがあったのだが、なぜか彼の手の作用だけでなく
その言葉によっても、自分の身体の奥が少しずつほぐれていくのを
感じたりして不思議に思っていた。
その後思いついたのは「だいじょうぶ」という言葉によって
自分の身体を身体に任せること、頭でリードしないこと、
あるがままの状態を身体に委ねること、が促されたのでないか
という推測である。

来週は、確信を持った「息」を忘れずに、福音のレチとアリアを
歌いたいと思う。(モテットも…)

(以下自分メモ)
・深い息、膝から太もも・胸までやわらかく
・後背部を豊かに広く、骨盤にのって
・頭を自由に、下あごも舌も自由に、顔も動くことを許す
・耳の奥、鼻の奥もやわらかい広さ・スペース
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2017_05_15

自分用メモ

category: 学び  

巷はすっかり大型連休ののんびりモードだ。
自分は一般社会とは違うサイクルで仕事をしているので、
こういうときはうらやましいような、でも少し距離を
置いている感じ方をしている。
まだヒノキの花粉がとんでいるようなので、個人的には
もう少しのガマンだ。

先月久しぶりにアレクサンダーテクニークのレッスンを受けたり、
ドイツ人指揮者の指導を目の当たりにして、さまざまなことを
ぼんやりと電車の中とか考えながら、練習で試していることを
列記する。

・全身がつながっているという意識。(全身にエネルギーが満ちている、
流れている、というのでもいいかもしれない。以下のような個々の身体の部位に
意識が固着しているときに、”全身のつながり”を思い出す。

・(頭から)ぶら下がっている意識。「=ぶら上がる意識」
 太股も骨盤から垂れ下がる感じ。自分が太股、骨盤横にガッシリ
力を入れてしまう習慣に気づく。すっかりお腹が出てしまった体型になって
(下)腹部に意識が自然に向かうが、背骨(思ったより背にはないのかもしれない)
や骨盤を忘れない。
・鎖骨から横に広がる流れ。肩甲骨も翼のように上下に横に後ろに自由だ。

・顔、頭もつながっている。(自分の歌う練習の際にふと鏡を見て気づいたが
”顔が独立・孤立している=無表情”と思った。もっと他の身体と自然に
協調して大きく動いていいのでは、と思った。)

・歌うとき。下あごが前に後ろに下に動くことを許す。頭ももちろん動いていい。
 舌は後ろに行く習慣があるので、あごに留まらず前に横に広がる。嘔吐の感じ。
 でも母音は下あごに留まらない。
 鼻腔の広がり。思ったよりひろ〜い。

新聞で高梨沙羅さんが「自分との対話」について書いていた。
多分わたしもそれが好きなのだと思う。
ただ身体については、自分のものであって自分のものでない
という認識が大事と思う。導いてはいけるが、頭で身体を
コントロールする、というのは一面的に過ぎない。

「あるがまま」という言葉をしばしば身体に語りかけると
時折身体がムズムズしてくれる。そうすると思い込みより、
本来の身体の「長さ」「広さ」「太さ」、位置などの感じが変わる
ことがある。

先人たちが述べている「身体に訊く」とは箴言だ。

2017_05_05

知人の訃報

category: 未分類  

先日は無事Beata Musica Tokiensisのコンサート終了しました。

残務処理もまだ途中ではありますが、
3月にやるべきだった仕事は終え。

突然、知人の訃報が入りました。高校の同窓の先輩です。
かなり年上ではありますが、わたしのソロやアンサンブルの
コンサートにもしばしばふらりと訪れて下さっては
帰りにはいつも笑顔を見せて下さっていた方です。

あまりに突然でいまだ信じられません。

こうやって、人の死を迎えると
自分が生きているということをあらためて”思い出し”ます。

生きている喜び。
生きている苦しみ。
この世でしか経験できないこと。

そして自分でないものへの感謝と敬意、
自分への感謝。

支えて下さった先輩に心から感謝を捧げます。

また、十年以上前に目白バ・ロックでもお世話になった
ダンサーの小澤さんが亡くなられたとの報を受けました。
どうか安らかにお休み下さいますように。

2017_04_18


ついにBeata musica Tokiensisの第五回公演が今週となりました。
直前ではありますが、チケットのお求めについてお知らせがございます。

【東京文化会館でのチケット取扱い中止のお知らせ】
4月1日及び7日に行われる公演チケットは東京文化会館チケットサービスでの取扱いが
3月28日をもって中止となりました。
これ以降、東京文化会館の電話、窓口、友の会からのご購入はできませんので、
出演者又は他の販売所よりお願いいたします。
この度の急な変更により、皆様にご迷惑をおかけすることを深くお詫び申し上げます。

販売所一覧は下記の通りです。

◆チケット予約サイト TiGET
【4/1川崎公演】https://tiget.net/events/9144
【4/7東京公演】https://tiget.net/events/9145

◆東京古典楽器センター(店頭販売あり)
電話 03-3952-5515

◆ベアータ・ムジカ・トキエンシス事務局
電話・Fax 042-455-1997(平日のみ)
メール beatamusicatoki@gmail.com

以上、よろしくお願いします。
(ブログ)http://beatamusica1.seesaa.net

2017_03_29


3/20に盛岡バッハ・カンタータ・フェラインの40周年記念演奏会に
出演させて頂いた。
曲はバッハのヨハネ受難曲(第四稿)である。
自分は第1部のエヴァンゲリストと、第2部では合唱に加わらせて頂く。

ともかく、リハ前は緊張しかなかったし、

終わってからは、自分の力不足を感じるしかなかった。

本番でも、リハでも、冒頭の合唱の音圧に私は気圧されていた。
レセプションでも他のソリストの方がおっしゃられていたが、
気持ちだけでも、技術だけでもない、合唱の強力なパワー。
百名前後の合唱は、規模として大きいほうなのだろうが
雑味はなく、しかし表面的に機械的に揃っているわけではなく
音や気持ちが溢れ出して迫ってくる。

今回は佐々木正利先生、佐々木まり子先生、
コンサートマスターの蒲生先生、他の器楽の先生方にも
今の自分の歌を根本的に見つめ直すお言葉を頂いた。

先日別の機会に聴講させて頂いたお話の中でも、
技術と意識の話を聞いてそのバランスが自分でも崩れているのに
気がついたが、「技術」「表面的」なことにとらわれていた自分にとって
この時期に重ねてそのような学びを得られたのは
なんらかの”導き”と思う。

詳しくは書かないが、
あらためて背筋をしゃんと伸ばして、
しっかり、
勇気を持って、
歌うことを続けていこうと思う。

諸先輩方、後輩の面々、そして
フェラインの皆さんは
よき仲間であり、
「ライバル」だ。
今回の合唱に負けないような歌が歌えるように
頑張っていきたい。

今回お世話になった多くの皆さま、
ありがとうございました。
2017_03_22


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