今日はレッスンをしていた方から貴重な示唆を頂いた。

最近のモットーは「七割」です。
(手抜きをしたい、ということではなく、肩の力を抜いて
振り抜くようなイメージでしょうか…)
なんて話をしていたら、その職人の方がおっしゃった。

「自分たちの世界には昔から『七分(しちぶ)の心』という言葉があるんですよ」

とのこと。作り手の自分たちだけで完成させるわけでなく、
お客様の存在があって完成する、というようなことらしい。

以前アレクサンダーテクニークの先生から伺った内容にもあったが、
レッスンでも教える側と学ぶ側の責任は半々くらいで考えた方がいいんですよ〜
という言葉。

最近は「考えることによる完璧」を求める方向より、
大枠だけ決めておいてのインスピレーション、「化学反応」
を待ち、楽しむ心持ちになりつつある。

桐生くんがついに10秒の壁を破ったのもつい先日の事。
翌日の新聞の記事によると彼の足首の硬さがひとつの長所となっていると
いうことらしく、私はそれを知って驚いた。
てっきりそのような要素はアスリートにとって克服すべき対象のような
イメージがあったからだ。

まだまだ自分の知らないことは限りなくあるし、一人の人間が
できることなんてたかが知れている。
それよりも、自分以外の力を借り、信じて
助け合ったり、反応し合ったり、
その可能性のほうが開かれているはずだ。

曼珠沙華を見つけるたびに生命の不可思議さを思う。
自然の力は計り知れない。
自らの中にある自然も信じよう。
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2017_09_22

最近のテーマ

category: 学び  

すっかり久しぶりの更新となった。

先日空き時間にBSでターシャ・テューダーさんの特集番組に
見入っていた。
存命の時からなんとなく本を読んだりしたこともあったが、
その晩年の”自給自足”の生活の様子を見て、
草花に囲まれる華やかな色彩感の一方、
静けさが修道院のようとも思った。

いいなあ、と思ったのは、
自ら作り上げたぬくもりのあるその家の
日の光に満ちた室内で
彼女が編み物をしていた場面。
くつろいでいながらも
静かに集中しているその姿を見て、
自分もこういうふうに歌っていたい、
また親しい方々にも歌を聞いてもらいたい
と感じたのだった。

* * * * * * * * * * * * * * *

今年はいろいろあって、
急がない
というテーマが自分のタイミングであると感じている。
「〜べき」という思考が先に行き過ぎて、
その時々でうっすら感じた思いや身体の囁きを
聞かずにずっと生きてきた気がする。
徐々にそういった抑圧されたものが心の癖や身体にも
蓄積されてきたかもしれない。

はるか昔に感じた思い。
保育園でおもらししてしまったあの恥ずかしさ。
(…なぜかそういうときの感情って覚えてるんだよナ〜。。)
小3のときに学級会で司会をしたときに、先生に
君は司会は向いてない
と言われたショック("o";)。
中学校のとき好きになった女の子に電話で告白したが
その後ずっと気まずくなってしまったこと。
もう30年近く前になるのにいまだにひきずっていたり
何かしら傷ついていたりする「自分(の記憶)」に気づくと今さら驚く。

あの時の自分に、声をかけてみよう。
だいじょうぶだよ。
気にすんなって。
まだ子供なんだから。
失敗してもだいじょうぶ。
って。

そして、今の自分にも同じようにつぶやいてみる。
大人だけど、失敗しても(たぶん)だいじょうぶ。
急がなくてもいいかな。
いまの感覚に耳をすまそう。
いまの思いを感じて自分には隠さずに表現する。
でないと、自分の気持ちを見失ってしまうかも。

* * * * * * * * * * * * * *

自分の心が安らかでありますように。
みなさまの心も安らかでありますように。

2017_09_07


半月あまり取り組んできたプロジェクトのコンサートが
昨日終演した。

お越し下さったみなさまありがとうございました。
他の種類のコンサートにもいつも来て下さる方から、
早くお仕事を切り上げられたので今回は来られた!という方。
数十年振りにたまたまお会いできた方まで
いらっしゃいました。
結果的には、一日で百人程度のお客様に聴いて頂けたことになります。
感謝です。

それにしても一日二回公演というのは効率がいいように見えて
(効率はいいのだが)なかなかシンドイ。。
昼公演の後、自分はマッサージを受けに行って時間をつぶしたが、
どこかで一度「積極的に」リラックスする時間が(自分には)必要なのだ。
身体の疲れもあるが、なによりモチベーションをもう一度高めるために
一度すべて解放させ忘れるプロセスが大事だ。
「慣れ」は非常に油断ならない。
音楽はいつも新鮮でありたい。

コンサートを終えて今日はまだうまく振り返られずにいる。
快適な瞬間もあれば、混沌とした時間もあった。

ともかくも、今回は特に美加恵さんとルネさんに多くのことを学んだ。
自分は今回のジャンルには明るくないので、両氏にそれぞれの
アドヴァイスを頂けて大いに勉強になった。
楽譜の読み方であったり、頭で考えることではなく音(声)のイメージ
であったり幅広い内容である。

逆に難しかったのは、ホールにおける自分たちの歌いやすさ(演奏しやすさ)
とお客様たちへのパフォーマンスを両立させること。
私は今回初めて会場の中央でサークルを組んで演奏する隊形を経験したが、
互いの位置や距離感がまた難しかった。

自分は本番当日はほぼ普段でない精神状態であるので、
もう立ち位置とかあまり覚えられない(- -;)
だからさまざな提案をしてくださる方々のおかげで当日の演奏会は
成り立つ。共演のみなさまありがとうございます。

先月の初のリハも実は直前に風邪を引いてキャンセルにさせて
しまった。体調管理はまだまだだ。
四十代なりの心と身体のメンテナンス、自分なりに編み出していかないと。
それと、数日のオフの間今年後半〜来年頭までのコンサートの準備を
しなくちゃ。
歌うのは一瞬だが、準備には途方もない時間がかかるのだ。
優柔不断なわたしにとってはこれがまた大変な作業となる。

お盆と言えば、じいちゃんがどーんと座って新聞を持って
高校野球を毎日見てた光景を思い出す。
皆さまも、このお休みにはご家族とともに
和やかに、またご先祖様を思い、過ごされますように。

さまざまな国における内戦も、中国の地震も、九州の被害も、
同じ時代に起きていることとして目を背けず、

緊張の高まる世界情勢だからこそ
平和であることについて想う。

食べ物もあり
傷つけられる恐怖もなく
寒さ・暑さに対しても文明の利器に助けられ
家族と一緒に過ごせる今のひとときが
幸せだということを思う。

ご先祖様に感謝。
2017_08_11


今日もリハでした。

8/2のブログに書いた「成功するイメージ」ですが、
ちょっと訂正させて頂きます。
というのも、「曲によっては」という結果になりそうだからです。

もちろん徹頭徹尾「完璧な」演奏になれば望ましいのでしょうが、
「完璧な」演奏を目指すがゆえに段取り・決まり事のように
固定的になってしまうのはあまり面白くないからです。

特にアカペラの部分。
壊れやすい(とはいってもガラス細工のような固いものではなく、、、
スカイダイビングの人たちが隊列を作るような、、?違うか…)
ものであるだけに、ぴったり合うのは至難の業ではあるけれど、
絡み合う息の流れを楽しんで頂ければ、幸いです。
これがなかなか毎回はうまくいかない…(~,~;)

一曲一曲は、必ずしもカタルシスを解消するような音楽ではない
かもしれないけれど、うまくいった場合にはホワッと
いい余韻が残ります。
フレンチの香り。

ご予約数もこの時期になってある程度伸び、一安心。
今日も喉周り疲れました。ぐったりぐっすり寝まーす。
2017_08_08


久しぶりに暑い日となった。
ここ数日曇りがちで気温がそれほど上がらなかったので
再びの暑さは身体にこたえる。

昨日は「デュファイ祭り」なるものに参加、個人的には
散々な歌となってしまったので、どーっと落ち込む。
続いての歌だけのリハもわりと長時間であったので、
途中でもう集中力も切れたり繋いだりしつつなんとか。

夜にはくたくたで帰ると、ふと点けたテレビで満蒙開拓団の
番組をやっており、途中から目が離せなくなった。
私の亡き母は満州で育った。当ブログの前のほうではその記録誌から
祖父が書いた記事を短く転載してきたが、満州の地域によっては
「接待所」なるものがあったことを昨日初めて知った。
その経験をした人々もいまだ我々と同じ時代に生きている。

さきほどCSにてアニメ「はだしのゲン」(真崎守監督)を見て
何度も泣いた。
広島でも同様の目に遭った人々は今も生きていらっしゃる。

いま。
戦後何年経ったことか。
世界ではいまだ内戦もテロという暴力もなくなっていない。
父や母やじいちゃんばあちゃんの味わったであろう苦い涙。
われわれの世代でもどうしようもないのか。

想像力という人間のみに与えられた武器は、いったい何ができるのか。

追記:
上の疑問文で終わるつもりはなかった。
夏山さんとの会話の中で、レベッカ女史も(決して大きなことではないが)
昔とは異なる教え方をしていることを知った。
一流の人たちはどんなに素晴らしくてもさらに変わってゆく。
身近にいる専門家、大家(たいか)の方々も優れた方々は
研究に怠りない。
表面的な「金科玉条」のようなものを何十年も抱えてはいないのだ。

何十年も、数百年か経てば人間の知恵はさらに少しずつ
現実を変えてゆくに違いない。
古来から続いてきた戦争の歴史が遺物となって学校や家庭で教えられる
時代を願う。
そこには我々の世代のもつ希望と信頼が必要だ。
他者へ、そして自らに対しても。
2017_08_06


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