前にのせた記事に続く内容になる。

他のグループで聞いたグレゴリオ聖歌も非常に刺激になった。
個人的には、やはりGyörgy Béres氏のSchola Gregoriana Budapestinensis、
また、初めて聞いたスペインのJuan Carlos Asensio Palacios氏率いる
Schola Antiquaの演奏が興味深かった。
二つが似ている訳ではないのだが、今回いくつか耳にした中で好感を持ったのが
これらだった。

なぜだろうか。

普段導いて下さる橋本先生は、余計なものを削ぎ落として
言葉の本質的なもののみを響かせることを求められる。
ネウマもただの音の長さや表面的なリズムで声にするのを
固く戒められる。

(期せずして先ほど読んでいた新聞の評に、コレギウムジャパンの
モーツァルトプログラムにて『余剰を削った音と形』と題された記事
があった。)

自分も近年、そういった考えのもとに生きている、
と思っていた。

、、、
、、、
、、、しかし。

三月に歌わせて頂いた故郷での演奏会の映像を目にしたとき、
「なんじゃ、こりゃ〜(*0*;)」
と思った。

声はおいといて、少なくとも自分の立ち姿が生き生きと見えなかったのだ。
(身体が)死んでいる
ざっくりと言うとそんな印象だった。
特に首から下の部分が固い。固まっている。
ソロの時より後半の合唱に加わった姿はとにかく周りから浮いていて
「ホントに歌ってるの?」
と見える。

衝撃だった。
これか、恩師などからキビシい言葉を頂いたのは、と思った。

自分の中では、
前段で述べていた「余計なことをしない」ということに注意して
身体や声の使い方を磨いているツモリであった。
「余計な動きをしない」「本質的でない声を使わない」

しかし、あらためて考えると、「しない」→押さえつける傾向がかなり高まって
いる状態であるのだろう。
「動かなくてもいい」→「動いちゃダメ」になっていた。
頭で考えていたことと、実際やっていたことは、全く違うことだった。
いつの間にか「しない」ことが第一になっていた。

先に述べたハンガリーのグループもスペインのグループも、
決して声も身体も固めていなかった。

<まとめ>
今年はたくさんの壁に当たってきたが、今回気づかされたことも大きいものだ。
ありがたいと思うとともに、自分の思い込みだけで作り続けてきた「習癖」に
まず気づいていかなくてはならない。
長い道のりになるとは思うが、今日伺うアレクサンダーのレッスンなども
大きな助けになるはず。脱力しようとし過ぎると内部の必要な力まで失われ
結局外の筋肉を固めて立つようになるという危険。
音楽だけでなく、自分の生活においての思い込みにも気づく取り組みを
していきたいと思います。

まずは週末からのカペラのコンサート。
もしお越しになられる方がいらっしゃれば、、
以前より6割増で動くわたしが見られますよ〜(?)。


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2017_07_14


まずはご報告。今週頭までハンガリーのVácという街で
Gregorian Festivalに参加してきました。

IMG_3115.jpg

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前回行ったのは3年前。今年はDomでなく、Dominican Churchでのコンサートで歌いました。
こちらも美しい教会です。


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おっとこれは1回目のコンサートで歌った後に飲んだものですよ、もちろん。
知りませんでしたがハンガリーのビールだそう。

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こちらは初めて訪れた Gödöllő(ゲデルレー?)という町のPremonstatensian Chapel。
小振りな教会ですが、正面のステンドグラスが印象的でした。
時間がなく、観光ガイドにあったゲデルレー宮殿は見られず残念でした。

IMG_3202.jpg

なぜか今回は揚げ物・フライが続く旅でした。
決してそのせいではありませんが、半日くらいひどい発汗・頭痛に
悩まされ、辛かったです。風邪か、はたまた熱中症か。

IMG_3208.jpg

これはハンガリーで有名なグヤーシュ。旅行中に食べられなかったので
帰りのブダペストの空港にて。おいしゅうございました。

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2017_07_14


いまだ冴えない毎日である。

なるべくネガティブなことはこういうところに書くまいと
思ってきたが、自分用の記録という事で今回も書く。

先月からの気持ちの落ち込みは続き、考えがうまく
まとまらない状態が続いている。
かかえた仕事のさほど大変でもない作業が滞る。
おそらく思春期時代に経験したような状態に近いとは認識している。

本で読んだが、最近言われるようになった「HSP」と呼ばれるような
人の要素が自分にも当てはまるとは知った。
全てではない。自分はとりあえず眠る事はできる。
しかし、人ごみ・大人数の集まりだけで疲れるし、自責の念が強い、
人の感情に影響されやすい、というのは当てはまる。

思春期を過ぎて、それらをどうやり過ごすか、ということを覚えて
この年になったつもりでいたが、そのフタが空いてしまった気分だ。

ともかくは、自分を見つめ、「ダメな自分」を受け入れていく視界を持つ
しかないのだろう。
今日からハンガリーでのグレゴリオ聖歌のフェスティバルに出かけるが、
ある意味、自分を見つめ直す旅、と思って行ってくることにする。

自分から逃げることはできない。
自分が自分のよき友であるといいなあ。
2017_07_05


今日は知人からの紹介で、東京音楽大学でのパーヴォ・ヤルヴィによる
指揮のマスタークラスを聴講してきた。

自分は器楽は門外漢。しかも曲はベト4ということで聞いたのも初めて。

しかし指揮によって、なんと音楽の変わることか!?

受講者はもちろん専門に勉強されてきている学生たちだから、
きちんと基礎から学んできているだろう。

それでも、ヤルヴィ氏による指揮を目の当たりにすると
圧倒的に音楽の流れ、息遣いが変わるのが明確で、
全く知らない曲なのに、その魅力にどんどん引き込まれていく。

前半二人のレッスンしか見てこなかったが、二人に共通して
言われていたのは、必要のない機械的な動き(拍)はもっと省いていい
ということ。それによって必要な・本質的な音楽の核を知覚しやすく
なるのだろう。
また、振り始めは息をすること。音楽に合った振り始めの準備。

あとは、勝手に私が思ったこと。
フォルテを要求する時の動きは、学生は表面的に、または地に押しつけて
いるように感じたが、ヤルヴィ氏は演奏者を力強く鼓舞し、音もきちんと
空間に響かせ、放つように感じた。

彼の背中を見ていたが、その首の長さ、上背部の広い感じは
よほどの事がない限り変わらない。
それによって、必要な細かい指示を出していても、音楽の大きな流れは
失われない。

こういうの見てると、指揮者って楽しそうって思うんだろな。
(自分も一瞬思ってしまった。気の迷い。)
ほんと魔術師のよう。

短い時間ではあったが、音楽の不思議をあらためて思った幸せな経験。
2017_06_22

とらわれ

category: 未分類  

前回からかなり時間が空いてしまった。
今回は(特に)あまり生産的な内容を書けないだろう。

現在はまだ、軽い落ち込みの状態が続いている。
他人からの言葉に、おそらく適切な距離が取れていないせいだ。

昨年から、別々の形で同様の自分の状態に陥ることが続いた。
自分の言動に対する、他人からの言葉に「感情的に」反応してしまう姿勢だ。
こういう場合の自分の習慣として、怒り、攻撃性など外に向かうより、
自責の念、無力感、抑うつ傾向に向かうことが多い。

久しぶりにさまざまな本を読んだ。
昔も心理学的な書籍は好んでよく読んでいた。
はるか昔は森田療法の「あるがまま」という言葉を呪文のように
生きていたことを思い出す。

しかし、心理的なレベルだけでなく、昨年から同様の状態を
繰り返したことは別のレベルの課題が表れているのかもしれない
と考えるようにもなった。

数日前にふと浮かんだのは、自分の近年の言動が思い込み・
長年の習慣にとらわれ過ぎてはいないかということだ。
指導の方法はほんとうに適切?
「言葉を大切に」って言うけど、自分は本当に言葉を大事にしてる?
100%で生きてる?歌ってる?

しばらくは、自分の習慣を立ち止まって見つめてみよう。
今年は正月からおみくじが凶だったり、足元を見つめ直す年なのかもしれない。
どんどん年を取って頑になっていくだろうから、この機会に
他者のアドバイスに心を傾けるとともに、自分の中に巣くう
「ニセモノの思い込み」に気づいてまだまだ変わることのできる自分でいよう。



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